昨年10月に篠井地区の文化財調査員になり、最近興味深い話を発見したのでご紹介します。石那田の仲内地区には明治35年(1902年)から昭和38年(1963年)迄の約60年間、水力発電所が稼動しており、宇都宮に送電していました。現在は発電所設備は残っていませんが、水力発電に使った用水路が今も残っており、「電気堀跡」という名称で市の文化財に登録されています。
発電所の資料がネット上にないか検索していたところ、大手化学メーカーの旭化成のホームページに石那田発電所の建設当時のエピソードが載っていたので驚きました。そのページは同社の創業100周年を記念して創業者である野口遵(のぐち したがう)の生涯を解説した内容なのですが、野口が20代後半に建設にたずさわった石那田発電所のことが1章を割いて紹介されています。
野口は日本の電気化学工業の父とも呼ばれる実業家で、日本全国に発電事業を興し、同時に熊本県の水俣市に日本窒素肥料(後のチッソ)を作り、後に関連の化学会社を次々に設立します。それらの会社は現在、旭化成、積水化学工業、積水ハウス、信越化学という日本を代表する大手化学会社となっています。
仲内に石那田発電所が建設された頃、野口は東京のシーメンス商会という輸入機械商社に勤めており、ドイツから発電設備一式を宇都宮電灯という電力会社に販売しています。販売責任者として現地の仮設小屋に何ケ月も寝泊まりしながら発電所完成に尽力しました。
歴史に名を残すような偉人が若い頃、石那田で発電所作りに奮闘していたという話は大変興味深く感じました。物語としても大変面白いので是非、下記のQRコードまたはURLアドレス(https://www.asahi-kasei.com/jp/100th/pathfinder/noguchi/02/)から旭化成のサイトにアクセスして読んでみて下さい。