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篠井金山プロジェクト(途中経過)

投稿日:2017年9月7日 更新日:

突然ですが、先日から取り組んでいる篠井金山プロジェクトのご紹介をさせて頂きます。このブログのメニューにも「篠井金山の歴史」というのがありますが、篠井には戦国時代から江戸時代にかけて金山が存在していました。その歴史を何とか後世に伝えられないものだろうかと思っていたところ、東京の博物館に江戸時代に作製されたと思われる篠井の金山絵図が所蔵されていることを最近発見しました。

その絵図とは写真の「野州篠井村金山図」というもので、東京上野の国立科学博物館が所蔵、管理しているものです。私は鉱山関係の書籍を読むのが好きで、最近何気なく見た「日本の鉱山文化」という本の中に江戸時代の篠井の金山の絵があったのでびっくりしたのです。(幕府に提出されたようです)


野州篠井村金山図(国立科学博物館所蔵)

絵の内容は当時、金の採掘がされていた男山、本山の坑道までの道筋が赤い色で示されています。徳次郎宿からの距離などが赤い字で右上の方に示されていますが、徳次郎宿は徳川家康が亡くなった翌年(1617年)以降に作られた宿場なので江戸時代の作であるということは分かります。江戸時代のいつ頃なのか歴史の専門家の方に意見を聞いてこようと思っています。

絵図のサイズは115cm×55cmという結構大きなもので、紙の定型サイズでいうとA0サイズの一回り小さいものです。これを篠井地区市民センターに飾ったら地域の歴史を解説するいい資料になると思い、科学博物館に電子データを譲ってもらえないか交渉を始めました。画像データが手に入ったらパネルにして市民センターのよく見える場所にでも展示してもらおうと考えたのです。

メールで何度も問い合わせをしましたが、なかなか返事が来ず、やきもきしていました。そこで「地域の歴史を後世に伝えるために公的な場所に展示したい」旨のメールを出したところ「それならOKです」という返事が来て話がとんとん拍子に進みました。しかもデータは無償で譲って頂けることになりました。

今日(9/7)は博物館から「データ利用申請書」というものが送られてきました。必要事項を記入し、申請者を市民センターの名前にして提出して下さいと書かれていました。後日市民センターのセンター長の所に行って署名とハンコをもらってくる予定です。

(今後の課題)
1.どうやってパネルを作るか?
・・・どこに頼んだらいいのか皆目見当もつかないのでどうするか?

2.説明プレートをどうやって作るか?
・・・・絵図だけ飾っても見る人は何のことかわからないので説明書きが必要と思います。美術館などである説明書きみたいなものを作るかそれともワープロで打った簡易的なものでいいのか?

公共の場所に飾るので事前に関係者には電話もしくは直接会って話をしてきました。話をしたのは市民センター所長、ゆたかなまちづくり協議会会長、連合自治会会長などです。飾る場所や飾り方などは意見を伺いながら進めていく予定です。

(補足)
~「野州篠井村」の表現について~
「野州」って何だ?という人もいると思うので補足しておきます。野州は下野の別名です。栃木県は昔、下野の国と呼ばれており、その後、野州(やしゅう)という名前も付けられました。群馬県は上野(こうづけ)の国、で上州(じょうしゅう)とも呼ばれ、同じように州が付いた呼び名があります。

県内の東武宇都宮線には野州大塚駅、野州平川駅(共に栃木駅の手前の駅)等で野州を名称として使っているところもいくつかあります。

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