戦国時代の宇都宮藩の支城と言われている。平城の構造であったため石那田館とも言われている。
文献に城主として小池内蔵助の名前が見える。田川と赤堀川に挟まれた高台に位置しており、敵が攻撃しにくい要害の地に作られた。
現在は城跡の北側1/3位のところを日光宇都宮道路が通っており、かなりの部分が削り取られてしまった。往時の面影は城跡の周りに残る土塁程度になっている。
1.現在の城跡(写真左が日光宇都宮道路)
2.わずかに残る土塁
3.土塁(その2)
宇都宮市篠井地区最小自治会の活動記録
投稿日:2017年4月9日 更新日:
執筆者:shnd1