先日、妻の付き添いで小田和正のコンサートに三重県四日市に行ってきました。私はファンでも何でもないんですが、素晴らしい歌声を聞くことが出来て、行って良かったと思いました。
なぜ栃木から四日市まで行ったかというと、その場所のチケットしか取れなかったからです。小田さんは今年は全国ツアーを行っており、ひと月に2会場程度の頻度で全国を回っています。宮城、福井、静岡、三重などの会場に申し込みましたが、結局当たったのが四日市だけでした。
~私の感じたこと~
小田さんは今年77歳になられており、ステージに出てきたときは少し腰が曲がったおじいちゃんの様な感じでしたが、館内に響き渡る伸びのある声を聴いたらそのギャップに驚きました。
普段、小田さんの曲を聴くことは無かったのでどの曲を聴いてもとても新鮮で、また自身で作詞作曲をされているのでその才能にとても感銘を受けました。曲を聞くうちに子供の頃どういう環境で育って、どうやって音楽の才能がはぐくまれたのか、知りたくなってきました。
ステージの途中で映像を出しながらトークをする場面があったのですが、お母さんとの思い出の場面を語っていました。小田さんは生まれも育ちも横浜ですが、お母さんは和歌山県の北山村という山深い田舎で育ったと言っていました。(お父さんの話は出ませんでしたが、後でネットで調べたら東京生まれの東京育ちの都会っ子という事でした。)
「今日は母親の故郷の北山村の村長さんがこのライブに来てくださっています。村長さん有難うございます」と小田さんが紹介すると座席中段に座っていた年配の男性が立ち上がり、お辞儀をしていました。「母親も(天国で)さぞ喜んでくれているのではないかと思います」と言っていた。
その後に、スクリーンに映像が映し出され、小学校時代に家族で2回訪れたという母親の実家の写真と8ミリビデオが紹介された。これらの演出を通じて小田さんはとても母親の思い出を大切にしているのが分かった。
ホテルに戻ってネットで小田和正さんの生い立ちを調べると母親や父親の波乱万丈の生涯が断片的に載っていた。本にすると面白そうだなと思って最後まで読んでいたら、すでに別の人が本を出版していた。
(和歌山から兄をたよって東京に出て、病院で看護師として働いていた母親と、その病院に薬の卸売りとして出入りしていた父親が出会ったのは小田和正を生み出すための運命のようなものを感じました。)
コンサートやネットで読んだ記事を総合すると、小田さんの母親が一番の理解者で才能を伸ばしてくれたのは間違いない。しかし、小田さんの成功は家族を養うために懸命に働いていた父親の存在があってこそだとも思った。
いろいろと感じることが多かった旅行になりました。
※コンサート会場内での写真撮影は禁止されていたのでお見せできる写真はありません。