篠井地区では毎年3月にうどんまつりが開催されていますが、若い人から「なぜ篠井はうどん店が1軒しかないのにうどんの里としてアピールしているのですか?」という質問を何度か受けました。私自身も明確に答えられなかったので地元の人に聞いて調べたところ以下のような情報が集まりました。
1.かつて篠井にうどんの製麺工場が多数あった
篠井地区にはかつて「篠井のうどん(下篠井)」、「樋口うどん(上篠井)」、「田中製麺(下小池1)」等の製麺工場があった。中でも樋口さんはうどんの他に「ニギリ矢」の名前でラーメンも製造しており、上篠井の工場の他に下小池2に別の工場もあったとお聞きしました。(現在の鈴木木材さんの近所)しかし30数年前からうどん製麺を取りやめる工場が相次ぎ、うどんの生産地としての伝統が途絶えてしまった。
2.味噌仕立てのうどんが好まれていた
篠井地区のうどんは味噌仕立てで食べるのが基本で、味噌汁にうどんを入れて食べる食べ方が昔からあった。このためごはんと一緒にうどんを食べたり、ちょっと小腹がすいたときにうどんを食べたり、気軽にうどんを食べる習慣があり(他の地区と比べ)消費量も多く、うどんが篠井の郷土食になっていた。
3.小麦の作付けが多かった
昭和の中頃までは稲作のほかに小麦の作付けが多く、各地域に水車を使った粉挽き所があった。そこで小麦を挽いてもらい、地粉を使った手打ちうどんを日常的に食べていた。
一方、篠井のうどんまつりは平成5年に初めて開催されました。当時の豊かなむらづくり協議会の資料には「篠井の製麺所が一軒、また一軒と廃業し、うどんの歴史が忘れられようとしている。篠井の伝統食のうどんを起爆剤にして地域を活性化するイベントの開催を検討する」と書かれています。
うどんの里のシンボルであった製麺所が無くなってしまったことが篠井のうどんの歴史が分かりにくくなった一番の原因かと感じました。