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日光と宇都宮の二荒山神社の謎を解く

投稿日:2018年12月1日 更新日:

日光と宇都宮の二荒山神社の謎を解く
2つは系列なのか別物なのか?

初詣のシーズンがまもなくやって来ます。(これを書いているのは2018年12月1日です)日光や宇都宮にある二荒山神社に行く方もいると思いますが、この2つの神社は同じ系列の神社なのか全く別物なのか皆さんはご存じでしょうか?私は自分の住んでいる町の神社の役を長年やってきたこともあり、神社の歴史に興味を持っています。よく地元の長老の方から「2つの神社は関係が無いし、二荒山神社の読み方も違うので間違わないように」と言われていました。それまでは日光と宇都宮の二荒山神社はてっきり同じ系列かと思っていたのでびっくりしました。(日光が本家で宇都宮が分家と思っていたのです。)

2つの神社は祭っている神様も違うし、読み方も以下のように違います。(しかし、宇都宮ではたいてい混同して使われています)
日光二荒山神社・・・ふたらさんじんじゃ
宇都宮二荒山神社・・ふたあらやまじんじゃ


宇都宮二荒山神社の社殿


日光二荒山神社の社殿

2つの神社は二荒山神社という同じ名前なのに、どうして関係のない別々の神社なのかずっと疑問に思ってきました。最近その疑問に答えてくれる以下の本を読んだので今回ご紹介します。
「日光の三神」日光と宇都宮の関係を考える(吉野薫 著、下野新聞社発行)

1.何故2つの神社が二荒山神社という名前なのか?
明治時代に入って政府によって「神仏分離」が行われ、日本の神社から仏教色を排除したことで日光と宇都宮の2つの神社も改名されたそうです。
宇都宮:宇都宮明神→宇都宮二荒山神社
日光: 日光権現 →日光二荒山神社

それではどこから二荒山神社と言う名前が来たのでしょうか?本の説明では平安時代中頃(西暦900年代)に成立した「延喜式」(えんぎしき)という法典集の中で神社の格式を定めた「延喜式神名帳」に由来すると書かれています。神名帳の中では下野国の中で一番格式が高い神社が「河内郡二荒山神社」であると記されており、一つしか無い最高位の「大社」という階級になっていたといいます。

「大社」という最上級の階級の神社はその昔、中央から役人が赴任すると、最初に参拝する神社ということになっており、このような神社は「一の宮」と呼ばれていました。

2.二つの神社の主張の違い
現代風に考えれば「河内郡二荒山神社」という表記からすれば宇都宮の二荒山神社の方が昔は格式が一番高かったと思われますが、過去の文献では「日光も昔は河内郡だった」とか「宇都宮の二荒山神社は日光の分家だった」という相矛盾する内容のものが多数存在するそうです。そういうわけで日光側と宇都宮側はいまでも双方譲らず、「うちの神社こそ下野一の宮の大社である」と主張しており、決着をみていないそうです。

3.二つの神社はその昔、二荒山神社と呼ばれていた時代があった
日光も宇都宮の神社も太古には神社の成り立ちから二荒山神社と呼ばれていたそうです。だからこそ明治の神仏分離の時に二荒山神社の名前に戻そうと考えたわけです。

日光二荒山神社・・・男体山はその昔、神の住む補陀洛山(ふだらくさん)と呼ばれておりフダラクからフタラに転じ、二荒の字が当てられ、神社の名前になった。(これ以外にも諸説あるそうです)

宇都宮二荒山神社・・・宇都宮の神社が二荒山を名乗った理由は諸説有り、決定打が無いようです。この本の著者は農耕地であった河内郡では日光男体山の二荒神を農業の神として祭ったのではないかという考察をしています。

そういうわけで現在もなお、古代の延喜式に記載されている二荒山神社は日光なのか、宇都宮なのかという論争は続いているそうです。
(補足)
宇都宮の二荒山神社に行くと「延喜式内二荒山神社」という表示がいくつもあります。うちこそ本家と主張しているんですね。(写真参照)


宇都宮二荒山神社の由緒を示した看板

(追加)2019.4.27
続編を追加しました。下記をクリックして下さい。
~栃木県内に多数の二荒山神社があることを知りビックリした話~

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執筆者:


  1. イザドー より:

    宇都宮市民がふたあらさんって呼んでいるのは高橋さんや田中さんって呼ぶのと同じく、親しみを込めて二荒さんって呼んでるんだけどね。
    それを勘違いしてふたあらさんじんじゃって呼んでる人も多くなってるのも事実だけど。
    天王祭に参加してると、長老連中から毎年のように聞かされますよ。

  2. ダイアモンドリバー より:

    いきなりのコメントお許しください。ネットサーフィンをしていてたどり着きました。日光出身東京在住の者です。私も長年不思議に思っていました。「日光の三神」も持っています。つい最近新しく出た本を読んだことですべてが解決しました。日光は本宮で宇都宮は里宮、つまり同じ神社だったのです。だからどちらも下野一宮です。「日本史のなかの中世日光山」 永井晋 文学通信社発行 ぜひ読んでいただき、周りの人に薦めてください。要約すると分離したのはまさに頼朝の時代。宇都宮宗円の孫、朝綱の頃。日光山の次期別当予定の隆宣は京に上り、朝廷から日光山別当の神祇官符を給わりました。管轄が神祇官というのが味噌です。寺は管轄外なのです。つまり下野一宮の二荒山の社僧としての扱いです。隆宣が留守の間に禅雲がクーデターを起こし日光山別当となりました。那須氏や宇都宮氏がこれに協力。日光は灰になりました。宇都宮二荒山を掌握する宇都宮氏と日光山との決別です。以後は日光権現、宇都宮明神として発展して、明治になってどちらも二荒山を名乗る、とこんなところです。願わくば日光と宇都宮の両神社が協力して、リレー御朱印とかのイベントが出来ないかなと思ったりします。長文失礼しました。本の読了後の興奮が未だに続いていますので。
     

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